全ての要支援者要介護者様の「移動の自由」をサポートしたい

くも膜下出血の発症

2023年の4月20日くも膜下出血を発症して、左半身の麻痺症状を起こしました。
その日は、脳梗塞のリハビリで脳神経外科に居たので、処置が早く奇跡的に命は落とさず
無事に手術は終了しました。時間との勝負だったので病院内にいたことが幸運でした
「もし職場や外にいたら助かってはいなかったでしょう」と外科の先生が言ってました

入院生活の始まり

手術後、4か月の入院生活が始まりました。口からの栄養摂取ができない
ので鼻から胃に向かうチューブと手の血管にラインを繋ぐ点滴とトイレに行く
事が出来ないので尿道カテーテルがつながれていて、ベッドから起きること
ができませんでした。
最初の一週間程は意識朦朧としていたので、おとなしくしていたのですが
人間には「自由に動き回りたい」っていう本能があります。
それは何万年前から獲物を探して動き回っていた、ご先祖様から受け継ぐ遺伝子
に刻まれた生き残るための記憶だと思います。

入院患者が絶対にやってはいけない事

一週間辺りから、ついに同じベットの上で過ごす毎日に耐えられなくなってしまいました。
「なんとかして、歩き回りたい」と思ったのですが、鼻のチューブがある限りベットから
離れる事が出来ません。そしてある日、点滴と尿道チューブが長時間外される予定があることを
知ってしまい「このチャンスは逃がせない」と思い込んで、その日の朝自分で鼻のチューブを
引き抜いてしまいました。

集中治療室が大騒ぎに

「鼻から胃に栄養を送るチューブ」ただの管だと高を括っていたのですが、途中で中の栄養の
液が漏れると肺炎を起こしてしまいかねないとても大事な管であって、患者が自分で引き抜くのは
命にかかわる危険な行動だということを、激怒している看護師さんに教えていただきました。

両手を塞がれベットに縛り付けられる4か月

インシデント(重大な結果を招きかねない問題行動)をしでかした自分は、即座に
両手にミトングローブ(指が使えなくなるモコモコの手袋)をはめられ、右手はベッドの柵に
拘束用のベルトで縛り付けられました。その日から約3か月間、トイレ、食事や入浴時、リハビリ時
以外起き上がる事も許されませんでした。

(4方向を柵と壁に囲まれているベッド 力ずくで柵を抜いてみました)

ベッドに拘束するという行為は個人的には「憲法違反」にあたると思うのですが
「家族の同意書」っていう書類に嫁さんがサインしてあったため文句もいえず
自諦めていました。ナースさんたちに文句言ってみたりもしましたが、そもそも
命を守るために行ってやってくれている事なので、おとなしく受け入れました。

拘束状態から解放してくれた天使さんたち

拘束ロープは手が使えれば縄抜け出来るので、何度か夜中の見回り時間の間に
外してみたりしていたら、両手とも塞がれてしまいました。
その年の暑さは異常気象で室内のクーラーが効かずとても寝苦しく、その状態で
寝返りをうてないのは拷問のようでした。

そんな毎日の中で、リハビリの時はさすがに拘束を解かれるので自由になれるので
毎日リハビリの時間が楽しみでまちどうしかった。
しかも理学療法士さんも作業療法士さんも言語聴覚士さんも自分の担当者さんたち
は3人とも、とてもおきれいだったのです。
なので、自分はリハビリを超真面目に取り組みました
自分が真剣に取り組んでいるからでしょうか「この患者さんを自由にしてあげたい」
と思われたのか、理学療法士さんはとても厳しく筋トレをしてくれて、その結果
ベットからの起き上がり、車いすへの移乗をあっという間に楽勝にしてくれました。
作業療法士さんと言語聴覚士さんは「口から問題なく栄養が摂取出来るようになれば
そもそも鼻から胃に繋がるチューブの必要が無くなる」という作戦を考えてくれて
「一ヶ月間出された食事を完食作戦」を実行してくれました。そのためにわざわざ
時間を開けて3度の病院食を自分が完食するまでベッドの横から応援してくれてました。
ナースセンターにはその日の食事の状況をひと目でわかるために、完食だと完食と
張り出されるそうですが、「西さんは完食が多すぎて、壁に貼る場所が足りなくなった」
と言われました。結果、「西が栄養を普通に口から採れる状態である」事を証明出来ました。

その頃担当についてくれたナースさん、これがまたとてもかわいらしく明るくて頼りになる
お嬢さんだったので、「経口で栄養が取れるので鼻のチューブいらなくない?」と試しに言ってみたら
「そうですね、西さんとっても頑張っているので先生にチューブ抜くこと進言してみますね」
と返事して本当に先生に掛け合いに行ってくれました。とても頼りになるナースさんでした
看護師さんの立場から先生に進言ってとても勇気が必要だと思うので、感謝です。


それから数日後、鼻のチューブは抜管する事が決まりその看護師さんが「チューブ抜きに来ましたー」
と言って長いお付き合いだったチューブを抜いてくれました。
そもそも「チューブを抜く恐れがある」という理由で拘束されていたので、その理由自体が無くなり
その日のうちに両手のミトングローブと拘束帯が外されました。
今でもそのリハビリチームとそのナースさんには感謝してもしきれないと思っています。
もし、あのまま拘束され続けていたらメンタルを病んでしまっていたかもしれないですから。

これから「移動の自由を支援する事業を展開する」第一の動機はこの体験からきています
「こんなーにもーこんなーにもー空がー恋しいー」って歌詞の曲が有りますが、病室の窓から
空を見上げてそう思いました「人様の自由な移動のお手伝いをさせて戴きたい」

無事退院、しかし後遺症が、、、

4月の中頃からの入院そして約3か月間の寝たきり状態を経て記録的に暑かった夏の終わるころ
ついに退院する事になりました。

退院直前に受けたMRIでもCTでも脳に異常は見られず、リハビリも最後まで頑張っていたのですが
退院しても、まともに歩けなくなっていました。特に左手と左足を思うように動かせなくなっていました。
退院前にケアマネージャーさんが障害状態を確認してくれるのですが、結果は要支援1で障害者4級の
認定になりました。
退院したのが令和5年の9月で、今現在もリハビリを続けてきた結果判った事は「足が麻痺している」と
感じるのは入院後寝たきり状態だった4か月で筋肉が落ち切っていたのが原因だという事です。
それと診断結果の書類に書いてある「脳梗塞により左下脚の麻痺」っていう文章が、無意識に自分の
足が動きにくくさせていたのだと思います。
今現在行っているリハビリは筋トレ中心ですが、それによって筋肉がつきはじめた今、周りの人が
驚くほどスムーズに歩けているのです。今では動画をお手本にダンスとか踊れますよ
脳細胞が損傷している訳ではなく、寝たきり状態が長くて筋力不足になっていたのでした。病院内で発作がおこったことによる処置の速さが脳の損傷を防いでくれたらしいです。
なんという運の良さ!!残りの人生無駄にはできませんね。
もしもベットに拘束されることがなく、トイレに自分で歩いていくようにしていたらもっと回復が
早かったと思います。キッチリ栄養をとって、諦めずに身体を動かすことがベスト。
ベットに拘束されていた3か月がもったいないです

もしもご家族が同じ状態になったとしたら、動き回るリスクを恐れて動けないようにするより
なるべく日常生活を見守りながら「寝たままにさせない」方を選んだ方が良いですよ
フレイル予防が大事だと実感しました

免許の更新が出来たが、運転ができなくなっていた(に続く)


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